March 5, 2013

Hospitality & Compassion


おもてなしの心、思いやりの心、和敬静寂、
茶会の席での心構。
亭主がお茶を点て、客がそれをいただく。その一期一会のために、亭主も客も最善を尽くす。

畳のお掃除から始まった私のお茶のお稽古。着慣れない着物をぎこちなく身に着け、いつもお点前を覚えるで精一杯だった。床の間の掛け軸の迫力とその意味の深さに感動し、登場する素敵な茶道具に気を奪われ、覚えたはずの茶入れの作者や和歌が出てこず頭が真っ白になりながらも、お茶菓子と抹茶のおいしさに感動してお稽古が終わっていた。

この繰り返しの中で習ったことは数え切れない。しかし、一番大事なことは、これをどうやって日常生活にうまく活かしていくかだ。お茶室でどれだけ”うまく”やっても、それが本当の意味で身についていなければ全く意味がない。どんな習い事にでも言えることだろうが、お茶はこれほどにも日常生活に密着しているにもかかわらず、実際にはその二つの間になぜか厚い壁が隔たっていることが多い。

私の場合は、お稽古で習うことがあまりにも完璧すぎて、お茶室を出ると遠い宇宙へ旅してきたみたいな、そんな錯覚に陥ることが多かった。帰途に就きながらその感動を楽しむのだが、家に戻るとただの普通の自分に戻ってしまっていた。お茶を習ったことのない人はお茶を習っている人をなんかすごいことをしている人のように勘違いする場合が多い。そういうすばらしい方もいらっしゃるのは事実だ。しかしそうでない私みたいな人もいるのは否定できない。同時に、お茶のお稽古をしてない人でも立派にお茶の世界で教えていることがすっと、何気なくできる人がいる。実際、私の周りにもそんな素敵な人が何人もいるのだ。

久しぶりに外でランチしましょうと電話をかけてくれたお友達。約束の時間の少し前に、やっぱりうちに来る?というお誘い。お友達は旅から戻ったばかりで疲れているはずだから、私のほうこそ誘ってあげるべきなのに。それが逆になってしまった。春が近づいている庭にはピンクの桜に似た花が咲き誇っていた。その花を思わすように、お膳にはかわいい陶器の桜の箸置き。鯛の玄米炊き込みご飯、お吸い物、サラダ、日本の妹さんが丁寧に作られた塩辛や白子の佃煮、やさしい味の梅干、ひとつひとつが味わい深い。お腹だけじゃなく心の中までいっぱいになる。懐かしい味のカステラや地方名産の鮭皮煎餅、米煎餅、瓦煎餅、それぞれに楽しい話もついてくるから、こっちまで旅気分を味わえる。旅の話を聞きながらこんなにおいしいものを次から次へと頂き、お友達を包み込む人たちの笑顔まで見える気がした。

この楽しい時間、この一期一会を作ってくれたお友達のおもてなしの心、思いやりの心、これこそ見習わなければいけない私の目標。本当に感謝の気持ちでいっぱい。